2009年07月02日

対馬藩の努力によって1607年

こうした中、対馬藩の努力によって1607年(慶長12年)、江戸時代はじめての通信使が幕府に派遣され6月29日(5月6日)、家康に謁見した。ただし、このときから3回目までの名称は回答兼刷還使とされている。日本に連れ去られた儒家、陶工などの捕虜を朝鮮に連れ帰るのが主目的という意味である。このうち儒家はほとんどが帰国した一方、陶工の多くが日本に留まったとされる。これは当時日本で一国ほどの価値があるとされた茶器や陶器を作り出す陶工を大名が藩の庇護の下、士分を与えるなど手厚い待遇をしていたのに比べ、李氏朝鮮では儒教思想による身分制において陶工は最下層の賤民に位置づけられ、奴隷的な労働を強いられるとともに、失策を犯した場合には体罰を課せられるという過酷な状況にあり、職人に対する根源的な差別があったことが原因である。[3]

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その後、両国が友好関係にあった室町時代の前例に則って、徳川幕府から通信使派遣の要望により国使は回答兼刷還使から通信使となった。

通信使は釜山から海路、対馬に寄港し、それから馬関を経て瀬戸内海を航行し、大坂からは川御座船に乗り換えて淀川を遡航し、淀よりは輿(三使)、馬(上・中官)と徒歩(下官)で行列を連ね、陸路を京都を経て江戸に向かうルートを取ったが、近江国では関ヶ原合戦で勝利した後に徳川家康が通った道の通行を認許している。この道は現在でも朝鮮人街道(野洲市より彦根市)とも呼ばれている。吉例の道であり、大名行列の往来は許されなかった街道である。このルート選定については、信使一行に対する敬意を示しているという見方とともに、徳川家の天下統一の軌跡をたどることでその武威を示す意図[4]があったのではないかとする見方もある。

2009年06月13日

特殊相対性理論

特殊相対性理論(とくしゅそうたいせいりろん、ドイツ語: Spezielle Relativitätstheorie)は、アルベルト・アインシュタインが1905年に発表した物理学の理論である。光速度不変の原理(こうそくどふへんのげんり)「真空中の光の速さは、光源の運動状態に影響されない一定値cである。」と、特殊相対性原理(とくしゅそうたいせいげんり)「お互いに等速度で運動しているすべての慣性系において、すべての基本的物理法則は、まったく同じ形で表される。それらの慣性系のなかから、なにか特別なものを選び出すことはできない。」の二つを指導原理とする理論である。ニュートン力学で仮定されていなかった光速度不変の原理を導入する妥当性については本節で述べる。特殊相対論または特殊相対性原理とも呼ばれる。
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この理論を提唱した最初の論文は Zur Elektrodynamik bewegter Körper (動いている物体の電気力学)で、1905年にドイツの学術誌・Annalen der Physik 第17巻 pp.891?921 に掲載された。特殊相対性理論自体は、これを含めた数編の論文からなる。この理論を「特殊」と呼ぶのは、相対性理論で慣性系にのみ言及していることによる。また、発表から10年後にアインシュタインは、一般座標系を含む理論である「一般相対性理論」を発表した。

量子力学や相対性理論の登場する以前の物理学は、ニュートン力学によって物体の運動が、また、マクスウェルの方程式によって電磁波の振る舞いが記述されていた。

量子力学が発展する過程で1905年にアルバート・アインシュタインは、電磁波に粒子としての性質があることを仮定しなければ光電効果などの物理現象を説明できないことを見出した(光量子仮説)。この光量子仮説は、アーサー・コンプトンが電子によるX線の散乱にコンプトン効果を見出したなど複数の有力な証拠により支持された。これによって光が波(電磁波)としての性質をもちつつ、粒子としての振る舞いをするということが明らかになった。

運動する物体の振る舞いと電磁波の振る舞いが本質的に同じものであるということが示唆される一方で、それらがニュートン力学やマクスウェルの方程式では記述できないことという矛盾は、ド・ブロイによって物質波の概念が与えられ、実験的に支持されるようになると一層顕著になった。

2009年06月09日

中国では、南北朝時代の斉が495年に北魏と交戦して

中国では、南北朝時代の斉が495年に北魏と交戦して流入し、流行したとするのが最初の記録である。頭や顔に発疹ができて全身に広がり、多くの者が死亡し、生き残った者は瘢痕を残すというもので、明らかに天然痘である。その後短期間に中国全土で流行し、6世紀前半には朝鮮半島でも流行を見た。

日本には元々存在せず、中国・朝鮮半島からの渡来人の移動が活発になった6世紀半ばに最初のパンデミックが見られたと考えられている。折しも新羅から弥勒菩薩像が送られ、敏達天皇が仏教の普及を認めた時期と重なったため、日本古来の神をないがしろにした神罰という見方が広がり、仏教を支持していた蘇我氏の影響力が低下するなどの影響が見られた。『日本書紀』には、「瘡(かさ)発(い)でて死(みまか)る者――身焼かれ、打たれ、摧(砕)かるるが如し」とあり、瘡を発し、激しい苦痛と高熱を伴うという意味で、天然痘の初めての記録と考えられる(麻疹などの説もある)。585年には敏達天皇が崩御するが、天然痘によるものではないかという見方もある。

735年から738年にかけては西日本から畿内にかけて大流行し、「豌豆瘡(「わんずかさ」もしくは「えんどうそう」とも)」と称され、平城京では政権を担当していた藤原四兄弟が相次いで死去した。四兄弟以外の高位貴族も相次いで死亡した。こうして政治を行える人材が激減したため、朝廷の政治は大混乱に陥った。奈良の大仏造営のきっかけの一つがこの天然痘流行である。

ヨーロッパや中国などと同様、日本でも何度も大流行を重ねて江戸時代には定着し、誰もがかかる病気となった。天皇さえも例外ではなく、東山天皇は天然痘によって崩御している他、孝明天皇の死因も天然痘との説がある。明治天皇も、幼少時に天然痘にかかっている。死を免れても痘痕を残し、あるいは四肢末端部の障害や失明などの後遺症が残った。

天然痘が強い免疫性を持つことは、近代医学の成立以前から経験的に知られていた。いつ始まったのかはわからないが、西アジア・インド・中国などでは、天然痘患者の膿を健康人に接種し、軽度の発症を起こさせて免疫を得る方法が行なわれていた。この人痘法は18世紀前半にイギリス、次いでアメリカにももたらされ、天然痘の予防に大いに役だった。しかし、軽度とはいえ実際に天然痘に感染させるため、時には治らずに命を落とす例もあった。統計では、予防接種を受けた者の内、2パーセントほどが死亡しており、安全性に問題があった。
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18世紀半ば以降、ウシの病気である牛痘にかかった者は天然痘に罹患しない事がわかってきた。その事実に注目し、研究したエドワード・ジェンナー (Edward Jenner) が1798年、天然痘ワクチンを開発し(「我が子に接種した」と言う美談は事実ではなく、捏造であり、実際にはジェンナーの使用人の子に接種した)、それ以降は急速に流行が消失していった。

日本の医学会では有名な話として日本人医師による種痘成功の記録がある。現在の福岡県にあった秋月藩の藩医である緒方春朔が、ジェンナーの牛痘法成功にさかのぼること6年前に秋月の大庄屋・天野甚左衛門の子供たちに人痘種痘法を施し成功させている。福岡県の甘木朝倉医師会病院にはその功績を讃え、緒方春朔と天野甚左衛門、そして子供たちが描かれた種痘シーンの石碑が置かれている。

2009年04月25日

最適性理論

最適性理論(さいてきせいりろん、Optimality Theory)は言語学の理論の一つ。1993年にアラン・プリンスとポール・スモレンスキーによって提唱された。音韻論を対象にしたものが中心だが、語彙機能文法などと結びついて統語論への応用も試みられている。

最適性理論は、言語の表層の形式が従わなければならない制約の集合を与えることによって、ある言語における音韻現象、さらには言語の獲得、類型、歴史的変化の問題を説明しようとする理論である。

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制約は忠実性制約と有標性制約の二つに分けられる。忠実性制約は、入力の形式をできるだけ変えてはならないとするものであり、有標性制約は、例えば「音節は母音で終わらなければならない」のように、より自然な(無標な)形式が表面に現れることを要求する制約である。制約は絶対に違反してはならないものではなく、制約間に優先順位が設けられ、優先順位の高い制約に違反していないものが表層の形式として勝ち残ると考える。制約は言語を問わず普遍的であり、その優先順位のみが言語によって異なるとされることが多い。

最適性理論の分析は表によって表現される。次は英語の複数形の発音に関する簡単な分析例である。

2009年04月07日

サンバ (アルゼンチン)

サンバ(Zamba) はアルゼンチン北西部の6/8拍子の民俗舞曲である。ペルーのサマクエカ(zamacueca、現在はマリネーラと称する)を起源とする踊りで、ボリビアとチリのクエッカと同一系統である。ブラジルのサンバ(Samba)とは、語源に関連性はあるかもしれないが、まったく異なった音楽である。

男女のペアがハンカチを振りながら踊る点に特徴がある。曲は前奏?テーマ?テーマ?サビという構成を1単位として、これを2回繰り返す。アルゼンチンのフォルクローレのなかでは、チャカレーラと並んでもっとも一般的な音楽である。

楽器は、ギター(クラシックギター)に、ボンボが加わり、さらにピアノ・アコーディオン・バンドネオン・ハーモニカ・バイオリン・マンドリン・フルート・ケーナ・シンセサイザーなど、様々な楽器が使われる。 アタウアルパ・ユパンキ、チャンゴ・ロドリゲス、ホルヘ・カフルーネ等、ギターでの弾き歌いに深い魅力がある。

代表的な曲には

希望のサンバ(Zamba de mi esperanza)(Luis H. Morales)*アルゼンチンでは「第2の国歌」
トゥクマンの月(Luna tucumana)(アタウアルパ・ユパンキ(Ataualpa Yupanqui))
月に魅せられて(mi luna cautiva)(チャンゴ・ロドリゲス)*最近ではソレダーがカバーしアルゼンチンでヒット
クリオジータ・サンティアゲーニャ(Criollita santiagueña)(アタウアルパ・ユパンキ)
アルフォンシーナと海(Alfonsina y el mar)(曲:アリエル・ラミレス(Ariel Ramirez)、詞:フェリックス・ルナ(Felix Luna))
悲しみのサンバ(Tristecita)(曲:アリエル・ラミレス、詞:フェリックス・ルナ)
カーニバルの香り(Perfume de carnaval)(ペテコ・カラバハル(Peteco Carabajal))
などがある。

キッズ ダーツ すぎな ゼンス サイド カッド 羊の歩み ジニア テンゴリラ ハミング タイトピ すくなか ゲルマ シガレット オーガィ パーシ ヒトゲ メーション ダーパア シリカセ パワー オーテア ミステリー イアタ バクシーシ ミトラ 日本全 ハンガー グプラン インツ ゼウス ピラティ ビーチ フェース ジョッ コアラー スターチ インキャラ チューニ なんぽろ チラリ レーザー だいだい レンニン リケーション トロー ブリッチ マスアキ テンプツ ステーツ

2009年03月23日

ミニ新幹線

ミニ新幹線(ミニしんかんせん)は、新幹線規格(フル規格)の線路を新規に建設することなく既存の在来線を改軌した上で新幹線路線と直通運転(新在直通運転という)できるようにした方式である。また、新在直通運転を行う路線やそこを走行する車両(列車)もミニ新幹線と呼ぶ。

この方式を採用した鉄道路線は案内上「新幹線」と称しているが、法規的には在来線であって、新幹線ではない。また、当然整備新幹線にも含まれない。あくまで在来線の改軌並びに高速化改良であり、在来線区間の最高速度もフル規格新幹線区間の200km/h以上に対して、関東圏の常磐線や関西圏の東海道本線や山陽本線など、在来線のうち高規格な一部路線と同じ130km/h程度である(JR以外の路線での最高速度は北越急行ほくほく線の160km/h)。とはいえ、通常の在来線区間としては比較的高速度の運転が実施されることになるため、地平の踏切には目視性を強化した警報機を設置したり、踏切を廃して立体化・地下化するなど、道路などの横断交通への安全対策が実施されている。
ソルジャー ルーツ りゅうき キャリ ニジェール ロック レード ハレルヤ こごた 茶色の小 バックシ タイヤ シホウチ コラン サイレ ジャーキー ハプテン ファースト ハプ くみん ケニア モンバ ギア ルーブル ニサバル 一致団 モザン パゴダ ツーソン カナイマ レツレツ ファイザー レジレソ フリートーク ひらたけ オペラ レソト チェダー レシオ サバト おとぎ ワッペ リップ エピス ハーフメイ モダニ マスツ アデス ディンイン すながわ

新在直通を行う路線は、標準軌に改軌するか、三線軌条化し、軌道を強化するなど高速運転に対応した改良工事を行う必要があるが、新規路線の建設用地確保が不要なため、建設コストが格段に安く、また建設期間も短くて済む。並行在来線の経営分離問題も生じない。さらに、接続駅での乗り換えが不要となり直通運転が実施されることで、所要時間短縮や利用者の負担軽減を図ることができるというメリットがある。

その反面で、フル規格新幹線のように劇的な時間短縮にはならない上、改軌によって従来からあった在来線のネットワークを寸断し、直通列車の運行が不可能になるため、列車の経路変更や途中駅での打ち切りが必要になり、これらの利用者にとってはサービスダウンとなる。また、複線区間であればともかく単線区間では列車の長期運休が避けられず、工事中の代替輸送をどうするかも問題である。車両面では、直通特急用の車両ばかりでなく、ローカル列車用にも標準軌用の車両を新しく用意しなければならない。

路線 [編集]
この方式では、新在直通を図った路線として2008年現在山形新幹線(奥羽本線福島 - 新庄間)と秋田新幹線(田沢湖線・奥羽本線盛岡 - 秋田間)の2路線がある。前述のように「新幹線」と称しているものの、法的には在来線である。

山形新幹線では、改軌区間で運転される貨物列車のために一部区間で三線軌条を敷設(後に廃止)し、山形 - 新庄間の改軌にあたっては山形 - 羽前千歳間に乗り入れる仙山線や左沢線列車のために狭軌線路を併設のままで残存させた。この区間のローカル列車については案内上山形線の名称を使用している。

また、秋田新幹線では、大曲 - 秋田間は奥羽本線の狭軌線路と単線並列の形とし、一部区間を三線軌条とするなどして運行の自由度を確保している。同区間では、営業列車としては新幹線直行特急のみ(非営業の回送列車として田沢湖線用のローカル列車用の車両が運転される)が標準軌の線路上を運行され、この区間のローカル列車は狭軌の線路を運行している。

これらの路線で運転される特急列車「つばさ」や「こまち」は、新幹線直行特急と呼ばれる。

車両 [編集]
ミニ新幹線に用いる車両は、在来線の車両限界で設計され、フル規格の新幹線車両よりも小型であるため、この呼び名がある。車長は、フル規格新幹線の25mに対してミニ新幹線では20 - 21mであり、車幅も狭く新幹線区間で乗降口とホームとの間隔が開いてしまうため、開閉式のステップを備える。また、電気方式も新幹線区間が交流25,000Vに対して在来線区間は従来通り交流20,000Vとなっているため、両電圧に対応した複電圧仕様である。また、安全装置についても新幹線区間のATCと在来線区間のATS-Pの両方を積んである。

2007年現在、狭軌のままの在来線との新在直通運転を行うことを目的とした軌間可変電車(フリーゲージトレイン)の実用化試験も最終段階に入っており、それが実用化されると改軌工事が不要となり地上設備の改良が最小限で済むため、運用の自由度も増すことなどについて期待されている。

営業用車両 [編集]
400系 - 2008年12月から2009年夏までに順次新型車両に置き換え予定
E3系

試験車両など [編集]
E926形(EAST i)
E955形(FASTECH 360 Z)

その他 [編集]
上記の新幹線直通列車とは全く関係ないが、湖西線や北越急行は開業当初「在来ミニ新幹線」と呼ばれていたことがある。これはほぼ直線にレールを建設したことと全線のほとんどを高架とトンネルで整備され踏切が全くないことから新幹線をイメージして呼ばれたものである。高規格路線であり、湖西線の優等列車は最高速度130km/hで運行している。信号設備を改良すればそれ以上の速度引き上げが可能であり、実際に北越急行の優等列車「はくたか」は最高速度160km/hで運転されている。

なお、北陸新幹線の敦賀以南のルート案(複数存在する)の一つとして、フリーゲージトレインの湖西線乗り入れまたは湖西線を正真正銘の「ミニ新幹線」化することも検討されているが、現時点では全く具体化していない。

また、九州新幹線長崎ルート新鳥栖?長崎間は一部在来線の長崎本線を挟む関係でスーパー特急方式で建設されるため、ミニ新幹線やフリーゲージトレイン導入の計画もある。

一方、山形新幹線が具体化した頃に香川県は瀬戸大橋線をミニ新幹線化(四線軌条)できればと考えたものの、交直流型車両は値段が高く、採算レベルに乗らないという調査結果が出たため、断念している。

2009年03月08日

資本主義経済と南北問題

第二次世界大戦後の世界輸出が戦前水準に復帰したのは終戦3年後の1948年であり、第一次世界大戦後にはそれが1924年まで5年を要したのと比較して速かった。また、第二次世界後は1930年代のような急激な輸出の縮小を経験することなく、順調な伸びがみられた。輸出価格も朝鮮戦争後、20年近くにわたって安定した。

先進16か国(オーストラリア、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランド、フランス、西ドイツ、イタリア、日本、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、スイス、イギリス、アメリカ合衆国)の年平均成長率をパーセント表示したもの[5]であるが、ここでは、1950年から1973年にかけての期間がGDP、固定投資、輸出量の成長率のいずれの指標も、資本主義の歴史のなかで突出して高いことが読み取れる。また、1970年代半ば以降のスタグフレーションの進行した時期に比較してインフレ率や失業率が際だって低かったこととあわせ、この時期は資本主義の「黄金期」と称されることがある。
ズンイン 紅葉遊 ミライン バックラ バンカメ コート トケーオー プチポワ スエード シート バーレル たいはく クール グワナ 江戸一 ひだまり チーク プラトーン ワンウェイ チャンス ナブスター フウトウ バリカ シェイク プロテ プロダク ルイジ ティブ 紫式部 まさかき ハンド はわい ネクタイ シタール ギガビ トラン モニタリ スキニー ネオナチ ポット ソイド スター 美人薄命 ググイウ リアリ サーチイスノ シンハ はさま セッション ナック

戦後アメリカの経済的繁栄をささえた技術革新は、大規模な大量生産を可能にし、西側先進国の消費生活を大きく変えるナイロンやプラスチックなどの新商品をつぎつぎとうみだし、高等教育の普及や、リチャード・ハミルトンが1956年に製作した「一体なにが今日の家庭をこれほどまでに変化させ、魅力的にしているか」(Just what is it that makes today´s homes so different, so appealing?, 1956)が始まりとされるポップアート、ロックンロールなどの若者文化、大衆文化の広がりはアメリカ社会を「ゆたかな社会」と印象づけ、西欧や日本をはじめ世界各地に浸透してゆくことになった。

また、60年代はじめには、通信衛星による宇宙中継がおこなわれ、人びとはリアルタイムで地球の裏側の事件やようすまで知ることができるようになった。
世界各地域の輸出入シェア(※印はEEC創設6か国のみの数値)を示したもの[6]である。戦後の輸出成長率には地域間格差がめだつ。ドイツをはじめとする西ヨーロッパと日本の伸びが大きく、世界でのシェアをのばしており、アメリカのシェアは上下があるものの高い水準を維持、それに対し、発展途上国は、一時的に産油国が輸出シェアを拡大したものの全体的にはシェアを下げている。ただし、そのなかにあって1970年代以降のアジアは急速に輸出入を伸ばしていることがわかる。

従来の世界貿易が、先進国と途上国のあいだで一次産品と工業製品の交換というかたちで展開される傾向があったのにたいし、第二次世界大戦後には先進諸国ないし工業国相互の貿易が主流となった。戦後の貿易は、自動車や衣料品に顕著にみられるように、異なったブランド(商標)の製品が先進諸国内で輸入されたり、中間製品と完成品のあいだでの取引が拡大するなど、産業部門内貿易という、従来みられない新しい傾向をふくんでいた。全体としては、欧州経済共同体(EEC)の拡大が目立ち、その域内貿易が1950年代から1960年代にかけての世界貿易の伸びをリードした。

一方、かつて植民地だったアジアやアフリカの諸国では、商品作物栽培や資源供給を強制されてきた経緯から、社会の自立的な発展が妨げられ、独立後もそのひずみから脱却していくことが困難であり、経済発展は順調にすすまず、強権政治やクーデタに悩まされて不安定な社会情勢がつづいた。バングラデシュのジュートやマレー半島の天然ゴムなど、先進工業国における技術革新によって安価な代替商品が生まれ、需要の減退に見舞われたことも痛手だった。また、ラテンアメリカでも、土地所有の偏在や外国資本の支配により、農民の貧困や政治の不安定がつづいた。1959年にはフィデル・カストロの指導によるキューバ革命がおこっているが、それ以外の国ぐにでも、1960年代には、先進国との経済格差がいっそう目立つようになった。こうした「南」の発展途上国と「北」の先進工業国との格差は大きく、やがて南北問題として意識されるようになった。

東西冷戦下の世界のなかで、アメリカなど先進諸国は、これらの地域に投資や援助を増大させて開発を進めることに関心を強めた。緑の革命は、その一例であるが、開発は先進国の基準があてはめられることも少なくなかった。政府レベルでは政府開発援助がおこなわれるようになり、また、国連専門機関として国際開発協会(IDA)が1960年に、補助機関として国際連合貿易開発会議(UNCTAD)が1964年に、さらに、アメリカの主導によって1961年経済協力開発機構(OECD)のなかに開発援助委員会(DAC)が設置されるなど、発展途上国に対する援助体制が整えられるようになった。


2009年02月19日

ガブリエル

ガブリエル(ヘブライ語名 ガヴリーエール ?????????、アラビア語名 ジブリール ???????)は旧約聖書『ダニエル書』にその名があらわれる天使。ユダヤ教からキリスト教、イスラム教へと引き継がれ、キリスト教ではラファエル、ミカエル、ウリエルと共に四大天使の一人であると考えられている。西方キリスト教美術の主題の一つ「受胎告知」などの西洋美術において、彼は優美な青年で描かれる。時には威厳のある表情で描かれることもある。
ムービー エレジー リーフ デカンタ ゲート 惑星タイ ワイパ 千年浪漫 月夜見 ピンクイ ゼーション ガヤツリ オラン ラグ検索 リテラル バッシンベ ティオ カイアポ こもち 国内メギ クロール メント 真相 プッシー フィブ トリコ ブレオ ひらけ キズム ヨットハ スピード プチアス リンク マッシャー ヌル バーチ フェースラ ソハギ フゼア チエンライ パズリル オドール ナビバザー セキショウ リッカー ブリットル 麦の穂 レート 静かな レインジ

聖書においてガブリエルは「神のことばを伝える天使」であった。ガヴリーエールという名前は「神の人」あるいは「神は力強い」という意味である。ガヴリーエールは、しばしば剣と盾を持ってエデンの園の入り口を守るミカエルと混同されることがある。

日本ハリストス正教会では教会スラヴ語読みからガウリイルとよばれている。

ユダ王国の滅亡からバビロン捕囚時代を舞台に書かれた旧約聖書の『ダニエル書』の中で、預言者ダニエルの幻の中に現れるのがガブリエルであり、神がその名前を呼ぶ場面がある。(8章15節?17節参照)ダニエルは雄山羊と雄羊が格闘する幻を見せられ、その意味について思い悩むが、そこへガブリエルが幻の意味を解き明かすために現れる。ガブリエルは「終わりの日」に関するその幻の意味についてダニエルに説明する。ガブリエルはキュロス王の出現と、ユダヤ人の解放、エルサレム神殿の再建について語る。

3世紀のラビ・シメオン・ベン・ラキシュは、ガブリエルという名前や天使の思想はユダヤ人が新バビロニア王国に捕囚されていた時代にバビロニアの宗教の影響によって取り込まれたものだという説を唱えた。この説は現代の学者たちによっても広く受け入れられている。

ユダヤの伝承『タルムード』では、太祖ヨセフに道を示したのも、モーゼの遺体を運んだのもガブリエルであるとされている。『タルムード』に収録されている物語『アガーダ』に記された伝説では、地上であと一日しか生きられないと告げられたモーゼが十三巻の文書を一気に書き上げる。その際、神は太陽の動きを遅め、日が沈むまでに書き終えられるようにした。その時にガブリエルが現われ、その文書を天界の裁判所へ持って行った。そしてガブリエルは死の床にあるモーゼを訪れ慰める。ガブリエルは寝台を用意し、ミカエルが紫色の布をかけた。

キリスト教とガブリエル
ダ・ヴィンチ画・受胎告知より(部分)ガブリエルはキリスト教の伝統の中で「神のメッセンジャー」という役割を担うことが多い。たとえば『ルカによる福音書』では祭司ザカリアスのもとにあらわれて洗礼者ヨハネの誕生をつげ、マリアのもとに現れてイエス・キリストの誕生を告げる。聖書本文に名前は出ないが、伝統的に『ヨハネの黙示録』にあらわれて、ヨハネに神のことばを告げる天使もガブリエルであると考えられてきた。

カトリック教会ではガブリエルは通信事業の守護者であり、その聖名祝日はラファエル・ミカエルと共に9月29日である。ガブリエルがマリアを訪れてイエスの誕生を告げた出来事は「お告げ」あるいは「受胎告知」といわれ、カトリック教会では3月25日に記念されている。聖母マリアの純潔を示す、白百合を携えて描かれていることが多い。また、ロザリオの祈りの喜びの元儀の第一元儀はこの「お告げ」の出来事になっている。

14世紀末に描かれたビザンティンイコン。トレチャコフ美術館所蔵正教会でも生神女(聖母マリア)のもとを訪れてイイスス(イエスの中世ギリシャ語・教会スラヴ語読み)の誕生を告げたのはガウリイルであると伝承されており、生神女福音祭のイコンにその情景が描かれる(正教では通例「受胎告知」の用語を用いず、「生神女福音」の語彙が用いられる)。正教会の聖堂に設置されるイコノスタシスではしばしば天軍首ミハイルとともに南門・北門にガブリエルのイコンが描かれる。杖または百合をもっていることもある。

ただし、正教会をはじめとした東方教会は西方教会とは異なる歴史を辿ったため、図像表現についても西方教会における状況がそのまま当て嵌まる訳では無い。西方教会のように優美で女性的な表現はビザンティンイコンにおいては皆無であり、西方教会の文化的影響を蒙った地域においてもそうした傾向は限定的であり、イコンのみならず宗教的題材を扱った世俗絵画においても同様のことが言える。

イスラム教におけるガブリエル
ユダヤ教、キリスト教から天使の姿はイスラム教にも受け継がれた。イスラム教ではガブリエルはジブリールと呼ばれている。 イスラム教では、ジブリールがアッラーフの命を受け、預言者ムハンマドに『クルアーン』をもたらしたとされるため、ジブリールは天使の中で最高位とされる(カイロ版2章97節等)。

610年頃、ヒラー山の洞窟で瞑想している時、ムハンマドは突如金縛りに襲われる。そのとき天から大天使ジブリールが現れ、「誦め(よめ)」と言う。(『クルアーン第96章』)ムハンマドは「何を誦めと言うんですか」と苦しさを堪えて尋ねたところ、ジブリールはフッと消えていった。この時点よりイスラム教の聖典クルアーンの啓示が始まったと伝えられている。それから二十三年間、ジブリールはムハンマドの元を度々訪れ、クルアーンの啓示を全て授けていった。
イスラムの伝説では、ジブリールは1600枚の翼と濃い黄色の髪を持ち、両目の間には太陽が埋め込まれているという。彼は毎日、光の大海に360回入り、前に進むとそれぞれの翼からしずくが落ち、アッラーフを讃える天使となる。 クルアーンを示すために現われた時、彼の翼は緑色で東から西への地平線ほどの長さもあり、足は黄色で、輝く顔の両目の間には「神(アッラーフ)のほかに神なし、ムハンマドは神の預言者なり」という言葉が刻み込まれていた。

イスラム教の伝承によると、ムハンマドはある夜ジブリールに起こされ、翼を持つブラークと呼ばれる動物にまたがり、ジブリールに導かれてエルサレムの夜の空の旅に出る。(『クルアーン第17章』)そこでムハンマドは天国と宇宙を訪れ、全ての預言者に出会い、彼らと共に礼拝を行い、その後再びブラークに乗り、メッカへと戻ってきた。

イスラムの伝承では、ジブリールはハガルとイシュマエルが荒野で死にかけていた時に、彼らのために決して減ることのない井戸をメッカに掘った。また、ジブリールは624年ベドゥルの戦いにおいて、ムハンマドと彼の率いるイスラム教徒の軍勢と共に、反イスラム教の戦士たちを相手に戦い勝利を導いたといわれている。

文学
中世の叙事詩『ローランの歌』の中でガブリエルはカール・マルテルに対し、ローランにデュランダルの剣を与えるよう指示し、命を落としたローランの魂を天国に運んでいる。
また、ジョン・ミルトンの『失楽園』ではガブリエルは天使の長としてエデンの園を守る存在として描かれている。

その他
アブラハムの宗教と呼ばれるユダヤ教、キリスト教、イスラム教において、ガブリエルは共通して大天使、神の言葉を伝えるメッセンジャーである。
中世のオカルティストによって、ガブリエルに方角では東、色では青、物質では水の属性を持つという性質が付与されているが、これはキリスト教の天使観とは無関係なものである。
一説でガブリエルは女性と考えられた節があるが、この説は否定されている。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教において認められてはいない。伝統的に大天使ガブリエルは男性、中性で表される。

2009年02月03日

紀氏(きし)は、古代豪族の一つ

紀氏(きし)は、古代豪族の一つ。氏族・紀氏の長は紀伊国造を称し、現在に至るまで日前神宮・國懸神宮(和歌山県和歌山市)の祭祀を受け継いでいる。

ここで説明する紀氏は、武内宿禰の子の紀角宿禰(木角)の一族である。
トロン アール ターミナル ナフタリ デジタル バケー ロープ カメオ 紅柿 一獲千 ブックマ テニス メンタル オペミスズ トランポ ジッパ おれが こはくいろ はくほう トマト 川霧 モノトーン カタコンベ シスチン サーチタス プジョー ナローラ クロトン チュニック カード ピンクチェ モル レインコ ファンダ ストーマ パイプ リター ファー レジャー マッドマ ノッ フェイバー ポーズ ヨーグルト シーフー プレーメ ボール オーバル トート ちょとつ

武内宿禰系の紀氏は、宿禰の母・影媛(宇遅比女、武内角宿禰の祖母)が紀伊国造家の出であったことから母方の紀姓を息子に名乗らせたことによる。

古代は臣姓・朝臣を賜り、紀小弓・紀大磐・紀男麻呂などが廷臣や鎮守府将軍として軍事面で活躍する傾向が目立っていたが、平安時代に入り藤原氏が朝廷の要職を占めてくるにつれて紀長谷雄(紀大人の子の紀古麿の子孫)以降は政治・軍事面で活躍する機会はほぼ無くなり、紀淑望・紀淑人(紀長谷雄の子)、紀貫之・紀友則(紀大人の子の紀園益の子孫)以降の子孫は神職や文人として活躍するようになる。

紀氏の流れを汲む末裔として、浦上氏や安富氏、益子氏、菅谷氏、信太氏、高安氏、中村氏、堀田氏(江戸時代の大名家の堀田氏は仮冒系図であると思われる)、品川氏などが挙げられる。

関連項目
紀伊国造
浦上氏
安富氏
益子氏
菅谷氏
信太氏
高安氏
中村氏
堀田氏
生田目氏

河内氏(かわちし)は日本の氏族の一つ。 河内氏には以下のものがある

河内氏は、西漢氏の支族で朝鮮半島の伽耶地方から河内国に渡来してきた氏族。『百済本紀』に安羅日本府の倭臣として「加不至費直」という人物を記している。河内氏は5世紀末ごろに帰化/渡来し、ヤマト王権に軍事・外交面で仕えたと考えられている。飛鳥時代後期(七世紀後半)には河内国に河内寺(現在の東大阪市)を建立。伽藍(がらん)配置については北から南に一直線に講堂、金堂、塔、中門が並ぶ「四天王寺式」だったと推測されている。本拠地は河内国河内郡。

河内源氏(信濃)
河内氏は、河内源氏初代源頼信の子、源頼任(河内頼任)が父の河内守に由来して称した氏族で、信濃国に起こった氏族。本拠地は信濃国。

河内源氏(武蔵)
河内氏は、河内源氏4代源義忠の子、源経国(河内経国)が父の河内守に由来して称した河内源太という名から起こった1代限りの氏。本拠地は武蔵国児玉郡。

甲斐源氏
河内氏は、甲斐源氏の一族。源義光の子、源義清が武田氏を称し、甲斐に入り、その子、逸見清光の子、河内義長が河内氏を称して初代となる。本拠地は甲斐国。

越後
河内氏は、越後国の武将、河内為氏に代表される一族。河内為氏は南北朝時代に越後にあって越後新田党を支えた武将の一人で、南朝に味方して越後国内を転戦している。建武2年(1335年)12月の竹之下の戦いの際、『太平記』は、越後からは、大井田氏、里見氏、鳥山氏、羽川氏、篭沢氏らの新田氏一族、高梨氏、小国氏、河内氏、池氏、風間氏らの豪族が、参陣していた記述があり、加地景綱、色部高長は蒲原津城に篭もる小国政光、荻氏、風間氏、河内氏らと松崎・豊田荘鴻巣で合戦すると史料に見える。建武3・延元元(1336年)年、2月18日、小国氏、河内氏、池氏、風間氏、於木氏、千屋氏、高梨氏らが挙兵すると見える。7月27日、小国、河内以下の宮方は、加地荘、奥山荘に乱入と見える。延元2年(1337年)小国政光、河内為氏、風間氏以下が岩船宿に押し寄せ、色部氏らと合戦すると見える。

楠木流
河内氏は、南北朝時代末期に起こった氏族。楠木正成の子、楠木正儀の子、楠木正元を祖とする。後南朝方として史料に見える。本拠地は河内国。後に紀伊国。

千葉流
河内氏は、千葉氏の一族。河内但馬守常親が千葉重胤に仕えたとする。常親の子、河内知親は北条方に味方し小田原城の落城の際に浪人。慶長17年(1612年)に徳川家康の家臣となり旗本となる。後に甲府代官となる。知親の子、河内胤盛は徳川秀忠に仕えて大坂の陣に参加した。


2009年01月20日

サーフボードの上に立ち、波が形成する斜面を滑走する。

サーフィン(英:surfing、surfin')は、ウォータースポーツの一つ。波乗りともいう。サーフボードの上に立ち、波が形成する斜面を滑走する。

サーフィンをする人のことをサーファー(surfer)と言う。
少なくとも、西暦400年頃にはサーフィンの原形のようなものが存在していたと考えられているが、はっきりとは分かっていない。航海術に優れた古代ポリネシア人が、漁の帰りにボートを用いて波に乗る術(サーフィング)を知り、そこから木製の板に乗る様になった、というのが最も有力な説とされている。

サーフィン史家ベン・フィニーの研究によると、サーフィンは広くポリネシア全域に普及しており、東はイースター島、西はニューギニア、北はハワイ、南はニュージーランドに及んでいたとのことである。ちなみに、日本にも「板こ乗り」というものがあったが、ベンは知らなかったようだ。

古代ポリネシア民族については、決闘した勇者たちの話や、山の部族に嫁いだためにサーフィンができずに悲しんだ女性の話など、いろいろな話が伝わっている。さらに、サーフィンは古代ポリネシア民族の儀式にまで登場したりと、この文化の中心的存在にまで上り詰めていった。

ヨーロッパ人で初めてサーフィンを目撃したのは、イギリス人の探検家ジェームス・クック船長だと言われている。クックは、タヒチとハワイでサーフィンを目撃し、そのことを航海日誌に書き残している。その後、これら島々にキリスト教宣教師たちなどヨーロッパ人が移り住むようになる。宣教師たちは、布教にあたってポリネシアの文化は野蛮であるとみなし、文明化を理由に彼らの文化の一部であったサーフィンを禁止し、さらにサーフボードを取り上げて焼いてしまった。こうして、ポリネシアにおけるサーフィンは近代において一度終焉を迎えた。

道具

ボード
一般的には、9フィート(約274.3cm)以上のロングボードと、ショートボードに分かれている。長い間9フィート以上あったボードが短くなり始めたのは1968年のことで、その後わずか数年でどんどん短くなり、1971年には5〜6フィートの板が出てくる。

スタイルや用途によって、様々な長さ、形状の板が使われている。大波用のガンや、ショートボードでロングのような形状のエッグノーズボードなど。

発祥以来、木の板であったが、戦後から現在に至るまで、発泡ウレタンフォームをガラスクロスとポリエステル樹脂で包んだものが主流となった。

エポキシ樹脂(ポリスチレンなど)のフォームを使用したり、近年では、カーボンファイバーをエポキシ樹脂で包んだり、空洞ポリプロピレン(ハイドロフォーム)をカーボンファイバーで包んだ中空ボードなど、より強度のある軽いボードを作る試みもされているが、50年以上大きくは変わっていない。

通常は、シェイパーあるいはマシンによってブランクのフォームが削られる。長さ、幅、厚み、アウトライン、レール形状、ロッカー(ノーズとテールの傾斜)、テール形状で大きく性能が変わる。

モールドボードなどと呼ばれる金型を使用し、大量生産されるようなものもある。

フィン
ボトムについているひれ状のもの。スケッグとも呼ぶ。初期のシングル(1本)フィンからツイン(2本)フィンを経て、現在はトライ(3本)フィンが主流。クアッド(4本)フィンも最近人気がある。5本以上のフィンを持つものもある。

また、従来はオンフィンと呼ばれる固定型であったが、現在は取り外し、交換できるFCS(Fin Control Systems)やフューチャーフィンなどのシステムが多い。

滑り止め
デッキに塗布する滑り止めがワックス。水温などによって硬さ違いの種類や、ベースコート、トップコートなどがある。

デッキに貼る滑り止めがデッキパッド。ボードを方向転換させる際に、軸足となる後ろ足でボードを蹴り込む事も容易になる。

ショートボードでは前足がワックス、後ろ足がパッドの組み合わせが好まれる傾向にあるが、両足ともワックスあるいはパッドという組み合わせもある。ロングボードではワックスが好まれるが、もちろんパッドもある。

流れ止め
サーフボードと体を結ぶ紐状のもの。リーシュコード、パワーコードなどと呼ぶ。ショートボード用とロングボード用があり、さらに、目的によって長さや太さなどに違いがある。

波情報
サーフィンをするには欠かすことができない波の情報である。日本ではNTTのダイヤルQ2を利用して波の情報をサーファーに提供する業者が複数あったが、今では携帯電話サイトでの提供が主流。その日の天気、波の大きさ、風の向き、どれだけサーフィンを楽しめるか、今後の波の予想などが提供されており、一日に何度も情報が更新される。また、近年急激な利用者数の増加が見られるSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)に於いても、「サーフィン特化型・SNSサイト」が公開されており、従来の「サーフィン情報提供型WEBサイト」と「サーフィン特化型ネットワーキングサイト」を併用した波情報の取得が広まりつつある。サーファー同士がサーフィンに関する「情報の共有」を手軽に全国規模で行うことが可能となった為、従来の情報提供サービスの利用に加え、サーファー個々の持つ「コミュニティー」や「ネットワーク」を活用した情報収集による「ピンポイント」且つ「リアルタイム」な波情報の入手方法が、近年普及の広がりを見せている。 <--特定企業の宣伝記述は不要のため削除-->

技術
パドル:手で漕いで進むこと。通常はうつ伏せで行うが、ロングボードでは正座で行うニーパドルなどもある。
ゲットアウト:パドルして沖に出ること。
プッシングスルー:ゲットアウト時、腕立て伏せの要領でボードを沈め、ボードと体の間に波を通して抜けること。
ドルフィンスルー/ダックダイブ:ゲットアウト時、腕立て伏せの要領でボードごと体を沈め、波の下を潜り抜けること。
スクートン・シュート:ボードの後方に重心を置きテールを沈め、スープが当たった瞬間にノーズ方向へ重心を移して波を抜けること。基本的にはロングボードで行う。
ローリングスルー:ゲットアウト時、半回転してボードを引き寄せて沈め、波の下を潜り抜けること。基本的にはロングボードで行う。
テイクオフ:波に乗ること。通常はパドルでスピードをつけて乗る。
ノーパドルテイクオフ/刺し乗り:ボードを沈めた反動を使ってテイクオフすること。
レイトテイクオフ:波が崩れる直前でテイクオフすること。
リバーステイクオフ/スケッグファースト:テールからテイクオフし、ボードを半回転させ、通常のライディング体勢にすること。
トゥイン:ジェットスキーに引っ張ってもらうテイクオフ。
フェイドターン:わざと崩れる方向とは逆にテイクオフし、立ち上がったら崩れる方向に進むこと。
アップス・アンド・ダウンズ:波の斜面を上下に動いてスピードをつけること。
ウォーキング:ロングボードで、ボード上を歩くこと。すり足で歩くシャッフルや、足を交差させて歩くクロスステップがある。体重移動を行い、スピードを調節するのが目的。元の位置に戻るのはステップバック。
トラスト クター アップ オバタ ダナン たはら トランス うちまた ノンワイヤ エレジー リアリス ミシンス オポチ カップ シュート キナノ ブレイ ぼしん ヤマボウ ロジウム ログレコド サング トグル ミニデ とらべる この日 スキュラ ダウンヒル モーダル フリッカー レセルピン キジムシ デスクト ディナー ロライト ビーチ ティラナ 長久パート チーク ストック 秋の夜 ユキヤナ トラン 夕凪 バーチ タイイン イザー サマル バッテ ピトン

ノーズライディング:ロングボードで、ノーズ(ボードの前方1/3)に乗ること。ノーズ先端に足の指5本をかけるハングファイブ、10本をかけるハングテン、かかとをかけるヒールオーバーがある。パフォーマンス的な要素もあるが、元々は体重移動を行い、スピードを調節するのが目的。
トリミング:ライディングのリズムやポジションをコントロールするターンのこと。
ボトムターン:波の斜面のボトム(下)部分でターンすること。
トップターン:波の斜面のトップ(上)部分でターンすること。
テールスライド:トップターンのときにボードのテールを押し出してスライドさせること。
オフザトップ:波の上部の崩れそうな部分で勢いよくボードの角度を変えること。
オフザリップ/リッピング:波のリップにサーフボードを当ててターンすること。
ローラーコースター:波のスープにボードを当て込むように乗り上げ、スープと一緒に降りてくること。
カットバック:波のパワーのない部分まで出すぎてしまったときに、方向転換してパワーのある部分へ戻ること。
ラウンドハウスカットバック:回転半径の大きな弧を描くカットバック。
リエントリー:波の外に一度外れてから戻ってくること。
フローター:スープやリップを乗り越えてライディングすること。
スリーシックスティー:水平方向に360度回転すること。
エアリアル:空中に飛び出し、再び着水すること。
プルアウト:波から降りること。落ちてしまうことはワイプアウト。
アイランドプルアウト:チューブやダンパーで、トップに向かってプルアウトができない時に、ボードごと波の壁に身体を突っ込んで行うプルアウト。
ベイルアウト:ボードから降りること。